五木「日本的仏性というものかもしれませんね。日本人の心性にはアミニズム、神仏習合みたいなものが、ずっとあるでしょう。高野山に行くと神社があって、お坊さんが神社の世話をしている。それと同じように、日本のお寺というのはどこに行っても、どこかに鳥居がある。それはほとんど、増上寺でもそうだし、神社のない大寺ってないんですよ。昔から日本人というのは神棚と仏壇が同じ家にあるというので、それがすごく変だと明治からいわれ続けてきたけれど、本当はそうではないと僕は思います。ー後略ー」
立松「そうですね。日本では明治元年の神仏分離で、激しい廃仏毀釈が行われました。僕は百霊巡礼をやっていて、山に行くと、廃仏毀釈で破壊されたままになっているお寺があるんですけれど、神仏分離の文化破壊の痛みを感じますね。」
五木「あれは国家の権力でしたから。」
立松「神仏習合時代、お寺と神社はつねにペアになっていました。比叡山に日吉神社、永平寺にも白山神社がありますように、法隆寺でも修正会の結願の日に『ちゃんとうまくやっていますから』と西院伽藍の裏にある総社の参拝に行くんです。総社明神社とも五所明神ともいうんですが、そこで般若心経を読んで、神々の名を読んで、二礼、二拍手の礼をして行が終わるんですから。
日本人が培ってきた神仏習合の世界は、やはりバランスの取れた社会だったと思いますね。」
「親鸞と道元」五木寛之・立松和平より
by izukuranaoto | 2010-12-31 15:33