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January 3, 2011

A Happy New Year, 2011

「愛国消費 -欲しいのは日本文化と日本への誇り-」 三浦展著

今、「日本ブーム」とも言うべき状況がある。旅行先は京都が人気である。熊野古道なども人気がある。雑誌で神社やお寺の特集が組まれると、評判がよい。伊勢神宮に行く人が若い人でも増えているという。

その背景にある心理は、「大きな物語」を求める心理である。そして日本人が最も多く共有できる物語、それは「日本」そのものである。

「日 本」という「大きな物語」を求める心理は、どうやら1990年代に広がった。90年代、サッカーのJリーグが始まり(93年)、最初のワールドカップ出場 を「ドーハの悲劇」で逃し、さらにフランスでのワールドカップ出場を果たした(98年)。野茂英雄は大リーグに挑戦(95年)。つまり、スポーツを通じた 愛国心が昂揚され始めた時期である。

さらに現在は、より経済的な理由もある。日本は2010年以降のGDPで、経済大国2位の座を中国に譲る。そのことが、経済大国に代わる誇りを、日本人に求めさせているのだ。

ほ とんどの国民は経済大国2位の座から落ちることに失望はしていないように私には見える。むしろ、ようやく経済ではない別の価値を国民がひろく共有できるよ うになったことを喜んでさえいるように思う。朝日新聞が2010年に行った世論調査でも「日本の国内総生産が3位に下がることは、重大な問題だと思います か」という問いかけに対して「重大な問題だ」が50%、「そうは思わない」も46%と、ほぼ拮抗している(「日本のいまとこれから」調査)」。

1970 年代に日本人はエコノミックアニマルとさげすまれた。それよりは、たとえ経済大国2位の座は中国に譲っても、文化的な国と呼ばれたほうがいい、経済大国の 名はどうぞ中国に、ガツガツ働いて、ガツガツ消費する人間とは、そろそろさよならしたい、という感情が、日本人に、特に若い人にあると思う。

さ らにその「脱ガツガツ」の気分がエコ意識と結び付いている。環境に優しいエコな消費は必然的にガツガツ消費とは矛盾する。そしてまた、エコな消費、生活 は、日本人本来の暮らし方を思い起こさせる。つまり、ガツガツ消費せずに、エコな暮らしをすることが日本人としての「正統性」の感覚を呼び覚ます。このよ うに、エコ志向の高まりが日本を好む心理と結び付いている。

ただし、このように日本志向が強まっているからといって、日本的な物の消費がぐんぐん伸びているわけではない。米の消費金額は減り続けているし、特に20代は60代の3割程度しか米を消費していない。魚や和服の消費も同様に減っている。

こ ういうことから考えると、日本志向が強まっているのは確かだとしても、それがそのまま米食を増やすとか、和装を増やすといった消費の変化に直結していない ようである。それどころか、日常的な衣食住はますます脱日本化し、西洋化だけでなく、アジア的だったり、いろいろに多様化し、雑種化している。

だから、日本志向とは、生活が西洋化、雑種化するにもかかわらず、むしろそれだからこそ、純粋な日本をいとおしみたいという感覚の増大であると解釈したほうがいいだろう。

とはいえ、その日本志向は、いつかかならず消費にも結び付いていくだろうと私は予測している。今日本人が一番欲しいもの、それは「日本」であり、日本への「誇り」なのだ。

- 「まえがき」より


第2章「経済大国」という「大きな物語」の盛衰

「大きな物語」の終わり?
さよなら、大衆
高度成長期:「経済大国」という「大きな物語」
東京オリンピックを愛国心
大阪万博と愛国心
1970年代:ディスカバー・ジャパン〜大きな物語の喪失と自分らしさ志向の始まり
1980年代:自分らしさがわからずにマニュアル志向が強まる
1990年代:「本当の自分」をさがす
自分らしさを支えるもの
海外高級ブランドには日本人としての「誇り」は持てない
多様化の果ての日本志向
グローバリゼーションによる社会の流動化と「日本らしさ」
「リキッド」な近代
会社共同体の流動化
日本志向は保守的か?
「手段的」「自己拡張的」日本志向から「自己充足的」「自己肯定的」日本志向へ
「ソリッド」でも「リキッド」でもない「ソフト」な「クレイ」
地方の誇りと「中くらいの物語」
シビックプライド
「誇り」が人をつなぐ
場所の重要性

ー「目次」より


by izukuranaoto | 2011-01-03 08:41